「私の祖先は屯田兵として北海道に入地。本籍は東旭川村下兵村」

ここまではわかっていたが、今回の旅行でそのルーツがだいぶん見えてきた。

北海道第二の都市旭川市の歴史は、明治25年に400人の屯田兵の入植に始まるが、その一員であることがわかったのだ。

その翌年、明治26年に屯田兵達の決議により造営されたこの神社は、正真正銘の屯田兵ゆかりの神社である。

 

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 明治25年旭川屯田400戸が入植、村社建設を決議。翌26年、天照大神と共に、木花咲耶姫命を祭神として、境内を防風林に定め本殿を造営し村名をとり旭川神社と称した。

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旭川神社の境内にある記念館。

旭川を開拓した屯田兵に関する資料を展示する記念館。復元された屯田兵屋では、当時の暮らしぶりがそのまま再現されており、開拓時代の苦しい生活の中で、改良や工夫を凝らした農機具や生活道具などが展示されている。 屯田兵関係の展示施設としては道内でもっとも充実している。

展示品の詳しい説明資料が用意されている。


旭川神社正面

中央が案内頂いた現宮司の奥さん。

芦原嚴夫氏は、旭川神社の宮司として長らくその職にあったが、平成12年に退任し、その後は名誉宮司に就任されて、昨年四月に帰幽された。

現在は長男が宮司として後継している。

前宮司の奥さんと私の兄弟は従兄弟関係にあり、特に私の長男は兄弟のようなつきあいをしている。しかしこの日は奥さんも現宮司も共に所用にて留守であった。幸い、現宮司の奥さん(写真中央)が、案内してくださって、懇切丁寧な説明をいただいた。

お陰で私共も気軽にいろいろと尋ねることができ、短時間ながら中身の濃い訪問見学になった。

次はもっともっと勉強して伺いたいと思う。


神社境内、入って左側に、大きな記念館がある。

旭川兵村記念館正面入口

入口右側には、零式艦上戦闘機のプロペラが飾られていた。

寄る予定にはなかったが、長兄から、私の先祖を知ることのできる場所との話を聞いて、どうしても寄りたくなった。

ここは北海道の開拓の歴史を知る上に置いて、絶対欠かせない場所であることを強く認識出来た場所である。

現宮司の奥さんからいろいろ説明を受け、たいへん勉強になった。


旭川は、愛媛・香川・青森・京都・富山からが多い。
北海道への入地を希望した屯田兵は、小樽に上陸し、用意された下の写真のような区画で、抽選で割り振られた。


明治25年に入地した400名の屯田兵には、最初に間口54m、奥行273mの1.5ヘクタールが与えれ、場所は抽選で決められた。開墾が終わるとさらに3.5ヘクタールが与えられたそうだ。

青森出身の、父方の祖先の名が見つかった。

ここから辿ると、私の父は、北海道に入地した時から三代目となる。

母方の祖先は、京都出身であることがわかった。

 「空の四勇コーナー」には、空で活躍した東旭川出身者の勇姿が飾られています。太平洋戦争で「隼戦闘機隊長」を務めた「加藤建夫」少将やテストパイロットの「赤石久吉」など四人の写真等です。

加藤隼戦闘機隊長の父加藤鉄蔵追悼の歌額
  
以下は、1200点にも及ぶ陳列された関係資料の一部。

官給井戸 八戸に一カ所支給された

黒田式と言われ、特許を受けている籾播機

餅つき用の臼

食事用品

台所とカメや木樽

兵屋トイレ

開墾に使われた用品

原野の伐採に使用したノコ


防寒着や農業用品

籾を蒔くタコ足など水田の農作業用品が並ぶ

計量用の斗升 これ四つで一俵になる

たらいや洗濯板などの生活用品

柱時計

台所用品
スキー

炭を入れて用いるアイロン

私が行った時は、記念館の一角で、昭和の企画展が催されていた。