小中学生の頃、旭川に向かう汽車は、石狩駅と和寒駅の間で、この急な峠を越えるために、後ろに機関車を増設して登ったのを覚えている。

旧天塩国と旧石狩国の国境を意味する塩狩峠は、かなり急で、交通の難所だったらしい。(石狩峠は別の場所)

ここで実際に起きた国鉄(現JR)職員の殉職事故を取り上げた三浦綾子の小説「塩狩峠」で一躍脚光を浴びた。

三浦綾子

旭川を舞台にした『氷点』(ひょうてん)の旭川市出身の作家。 1963年に朝日新聞社が募集した懸賞小説の入選作で、翌年から朝日新聞朝刊に連載されたベストセラー小説の作家。

彼女が書いた他の作品の一つが、「塩狩峠」である。

三浦綾子記念文学館は、私の実家のすぐ近くで、2km弱程離れた、氷点の舞台になった国有林の中にある。

道路は整備されて、むしろ快適に峠に向かう。

峠の頂上付近

ここから北の地図を示す北海道開発局の大きな看板

北海道旭川市から、汽車で40分から50分北に位置する塩狩峠。ここに小説「塩狩峠」の記念モニュメントが設置されている塩狩パークがある。

 宗谷本線・和寒駅を発車した2両連結の上り列車で事故は発生した。

明治四十二年二月二十八日の夜、急坂を登りつめた列車の最後尾の連結器が外れ、客車が後退をはじめた。偶然、乗り合わせていた鉄道職員・長野政雄がとっさの判断で、線路に身を投げ出し自分の体で客車をとめた。長野は殉職、乗客は救われた。

三浦はこの話を長野の部下だった者から聞いた。結核のため病身の綾子は、さっそく夫の三浦光世に付き添われ現場に足を運んだ。そして、「永野信夫」を主人公にしたこの物語がはじまった。

塩狩パークは、「オンコ」(学名イチイ))の木がたくさん植栽されている。

どれも真っ赤な実をたくさんつけていた。

 

いくつか食べてみる。昔、遊びの合間に、この木の実を食べた想い出が甦る。

甘い味が口の中に広がった。

木々は紅葉していたが、周りの下草の間には、可憐でカラフルな花が咲いていた。