蘭越町を過ぎて、ソーラン街道の南下を続けると、寿都(すっつ)町に入る。

市街地は道幅も広く、ゆとりと清潔感に満ちたきれいな市街地を通り過ぎて、そのまま海岸線を進むと、日本海に突き出た岬にぶつかる。

この一帯は道立自然公園に指定されていて、眺望の開けたゆったりした風景を楽しめる岬であった。

ここは弁慶岬と呼ばれており、興味に惹かれて立ち寄ってみることにした。

奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在していた。

弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。

そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことを、弁慶が同志を待ちわびていた岬ということから、いつしか弁慶岬と呼ぶようになったといわれる伝説が残っている。

銅像の台座に刻まれている「想望」の二文字は、ここからつけられたものだ。

狩場茂津多道立自然公園の指標板
積丹半島神威岬に至る日本海側には、義経と弁慶にまつわる伝説が数多く残されている。
義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという常陸坊海尊を待ちわびて立ちつくす弁慶。その心を表した「想望」の文字が台座に刻まれている。高さ3・6メートル。
裏側に刻まれた伝説
上の段の弁慶像の裏側
岬に立つ弁慶像の側面
弁慶岬灯台
義経と弁慶の五条大橋での戦いの様子を刻み込んだ、大変おしゃれなこの公園の公衆トイレ。