日本海側を走ると歴史との関連を知らされるところが多かった。

江差町はニシン漁で有名だが、民謡の王様とも言われる江差追分やソーラン節でも有名だ。

夕暮れを迎えた江差町に入って、まずかもめ島に向かい、橋のたもとに繋留された「開陽丸」を確認し、明日ゆっくり見学することにした。

 

開陽丸・榎本武揚・函館戦争

オランダで建造、ブラジルを経由して150日かかって横浜港に到着。

洋式海軍学を修学するため26歳でオランダに留学し、5年後の慶応3年(1867年)、日本に回航される新造の開陽丸とともに帰国。

日本に到着して徳川幕府旗艦として働いて間もなく日本の政治は大きく変わり、4ヶ月後に大政奉還、王政復古の大号令が出る。

これにより、徳川幕府がおさえていた政治の実権が完全に天皇率いる新政府のものとなり、開陽丸などの軍艦も新政府に引き渡される。

しかし、旧幕府の家臣・榎本釜次郎(武揚)らは船を奪い品川沖から蝦夷地に向かう。

蝦夷地に着いてからの榎本軍は連戦連勝し上陸一週間足らずで函館を制圧。榎本は蝦夷島総裁に選ばれ、蝦夷島新政府を樹立。

榎本軍は函館に新政府を樹立したあと、江差の攻撃を開始。

猛吹雪にあいイカリも船も押し流され暗礁に乗り上げ、約10日後に海の底に沈没。

政府は榎本軍の追討令を発令し、榎本軍を五稜郭に追いつめ、官軍に降伏して函館戦争終わる。

昭和50年から引き揚げ作業を開始し、海中より多数の遺物が引き揚げられ、平成2年4月復元された。

 

 

かもめ島に渡る橋の上から見た開陽丸

開陽丸の先の島がかもめ島
かもめ島に渡る橋のたもとにある案内板。
開陽丸の脇にこのセンターがある。
沈没していた開陽丸から引き上げられた錨。

開陽丸のスクリューシャフトの最後部

 出土遺物の最大のもの 

キャプスタイン(揚錨機)

 錨やロープなどを巻き上げるもの。

 

12ポンドカノン砲  全長2m13cm  口径11.6cm
榴弾、榴散弾 装薬1.2kg、射角32.5度で 4,700m
16センチクルップ砲 全長3m35cm  口径15.8cm  重さ
2,855kg 榴弾(尖頭弾) 実弾(尖頭弾) 散弾(ブドウ弾)装薬2.5kg、射角 4.5度で 3,980m
9インチダルグレン砲 全長3m33cm 口径22.5cm 重さ 4,200kg 榴弾(球形弾) 装薬4.0kg、射角 4.0度で 1,400m

開陽丸青少年センターの庭に陳列された各砲門

 

中央のクルップ大砲は、ドイツのクルップという製鋼会社で作られたが、この大砲は性能がずば抜けていたので、世界中の戦争をしている国は競ってこのクルップ砲を求めた。この大砲を積んだ開陽丸は、当時の世界で最新鋭の軍艦であったことがわかる。