わが国でいちばん最後に建てられた日本式城郭であり、最北の松前城を訪問した。

幕府は蝦夷地警備のため、松前藩に築城を命じたので、藩主の松前崇広が、6年がかりで福山館(ふくやまだて)の改修を重ね、安政元(1854)年に完成した。正式名は福山城というが、松前城の愛称で親しまれている。

幕末の松前は、蝦夷地随一の城下町で、当時からにしん漁や京・越前との貿易船の交流で栄えていた。また、アイヌに対する警備の要でもあった。

松前城は、本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれいて、三の丸や城外には、海に向けてたくさんの砲台が置かれ、大砲が配備されていた。このことからも、海からの攻撃への備えを重視したことがわかる。

土方歳三との逸話

松前兵は、この搦め手門の門扉を硬く閉ざし、時々開門して一斉砲撃を繰り返したため、土方軍は攻めあぐねていた。しかし、その開閉時間の一定性を読んだ土方は、銃隊を門扉の両側に忍び寄らせ、開門と同時に至近距離から砲兵を狙い撃ちしたため、これを攻略する事に成功したという。

正面入口右側には、多門櫓があったようだ。 正面入口 有事の際に、領主などが外や外郭へ逃げられるようになっていた搦手門(からめてもん)は城門の一つ。

本丸御門は重要文化財に指定された。 桜の木の間から見える天守閣
松前城が国指定であることが、この案内板でわかる。 訪問は、ここから松前湾に向けられていた。 駐車場からの松前城。桜の時期が素晴らしいことかを予感させる。