青函トンネルの工事現場、福島町吉岡の市街地を進むと吉岡支所の向かい側に小さな看板が出ている。

この脇の坂道を登っていくと、このメモリアルパークがある。

青函トンネルの記念館は、青森県竜飛岬から約1km手前と2006年に改修された北海道吉岡にある。

当時の工事現場あとに作られたのが、このトンネルメモリアルパークで、トンネル建設の労働者が入っていたころは、日々話題になって、大変な活気もあったと聞く。 現在は訪れる人も少ないようで、ひっそりとしていた。 吉岡海底駅はこの下にある。昭和62年の青函トンネル完成を記念して造成された。

青函トンネルについて

本州と北海道を結ぶ世界最長の海底トンネル。

トンネルの全長は53.85Kmで、始点の青森県東津軽郡今別町浜名から終点の北海道知内町を結んでいる。

トンネルの海底部分は長さ23.3Km、海面下140mの海底からさらに100m下を通り抜けている。

青函トンネルの構想は第二次世界大戦前からあった。

青函トンネルの計画が具体的に進められるようになったのは第二次世界大戦後の1946年、地質調査が開始されたものの、詳しい調査は進めることができ亡かった。
         私は、この時3才でした。

1954年9月、タイタニック号の沈没につぐ大規模な海難事故となった青函連絡船「洞爺丸」が沈没し、この事故をきっかけに、青函トンネルの必要性が高まって、調査が再開。
         私は、小学校6年でした。           

1971年9月に起工式、トンネルの本工事開始。
         私は、大学卒業して6年目。

1985年3月に本坑が貫通、その3年後の1988年3月13日にJR津軽海峡線が営業を開始。
         私は、今市市勤務となり、二人の息子が中学         在籍した年です。

青函トンネルが開通すると同時に、それまで北海道と本州を結んでいた青函連絡船が廃止され、80年の長きにわたる青函連絡船の歴史の幕が閉じられた。


トンネル掘削時に活躍した蓄電池機関車


青函隧道建設記年モニュメント

 


掘削時にでた岩盤の一部。
まわりに、削岩機で開けたハッパ用の穴が見られる。

青函トンネル着工への引き金となったのは、世紀の海難事故「青函連絡船洞爺丸沈没」だった。

私はその時小学校6年。

しかしながらその時の「北海タイムス」や「北海道新聞」、ラジオによる大々的な事故の報道は、強く印象に残っている。

 

昭和天皇は、その時の悲しみで2首お詠みになった。そのうちの一首が、左の歌碑に刻まれている。

  「その知らせ 悲しく聞きてわざはひを

        ふせぐその道 疾くとこそ祈れ」

メモリアルパークから津軽海峡を見ると、本州側の竜飛岬の島影が見える。

ここの真下約200mに、吉岡海底駅があり、対岸の島に向かって海面下に、津軽海峡を横断している世界一の海底トンネルが通っている。

 

一昨年(2006年)からは、新幹線を通すためのトンネル工事も始まっていて、海底駅は現在閉鎖されているそうだ。

青函トンネルとは関係ないが、まもなく終戦を迎える昭和20年7月14日、この沖合で日本軍の駆逐艦「柳」とアメリカ艦載機10数機の間で激しい戦闘があった。

その歴史を後生に残すために、町民有志と関係者によってこの碑が建てられた、と碑文に書かれていた。