この小さな閑村の福島町の名前を初めて耳にしたのは、小学校から中学校の頃だろうか。

私の育った北海道風連町では、このころのメディアは新聞ラジオしかなかった。

人気を博していたのは大相撲中継である。その中で一際異彩を放っていたのが第41代横綱 千代の山 雅信。

昭和26年 9月に横綱になり、昭和34年 1月に引退するまで、私の小中時代のヒーローであり続けた。

北海道出身であることを繰り返し告げるラジオ番組の大相撲中継に、千代の山の名は心にこびりついた。 

北海道松前郡福島町から千代の山・千代の富士の二横綱が出た。同じ町から二人の横綱が出たというのも、同じ小学校卒の二横綱が出たというのも、ここが最初である。

千代の富士は、平成3年 5月 - 初日貴花田、3日目貴闘力に敗れたのを期に現役引退したが、ここ福島町は出生の地である。

心・技・体を極めて横綱に登り詰めた2人横綱の功績は、郷土の誇りであることから、その業績と大相撲への理解をより一層深めるために、平成9年4月に建設された。

記念館正面階段を上ると、目の前に下の写真のような二人の横綱の像が迎えてくれる。

左に、第58代横綱千代の富士 貢

 


横綱千代の山、千代の富士記念館
正面

53連勝でストップした大乃国との一番が奇しくも昭和最後の一番となった。

番付表には、東の横綱に千代の富士、西の横綱に大乃国の名が見える。

右に、第41代横綱 千代の山 雅信

千代の山

 昭和元年6月 北海道松前郡福島町に生まれる

 昭和17年   出羽海部屋に入門

 昭和20年(1945年)11月場所  新入幕

 昭和24年10月場所 新大関で13勝2敗の初優勝

 昭和26年5月場所 14勝1敗で3度目の優勝

         第41代横綱になる。

 昭和33年  引退

 昭和52年10月、肝硬変のため51歳で急逝

 

 

 

千代の富士

 昭和30年6月  北海道松前郡福島町に生まれる

 昭和43年  九重部屋に入門

 昭和50年9月場所  新入幕

    (昭和52年10月師匠千代の山急逝)

 昭和56年1月場所  横綱北の湖との優勝決定戦
                 初優勝

 昭和56年7月場所  2度目の優勝

        第58代横綱になる。

 平成3年5月  引退