私の年代の道人にとって、青函連絡船は、津軽海峡を渡るたびに利用した懐かしさ一杯の船だ。

航空機の発達や青函トンネルの開通により、渡道のための交通事情は一変し、客船はすべて廃船となった。

すでに廃止された連絡船の一隻「摩周丸」が、函館駅と函館桟橋を結ぶ埠頭に記念館として繋留されている。

家内も何回か乗船している思い出深い船なので、再会のために訪問することにした。

青函連絡船

青森駅と函館駅の間の津軽海峡を結ぶ旧国鉄の鉄道連絡船である。

航路の名称は青函航路といい、113.0kmの距離を4時間半、新造船になってからは3時間50分で結ばれていた。

1954年(昭和29年)9月26日 - 台風15号(洞爺丸台風)に伴う暴風雨が原因で、函館郊外の七重浜に座礁し転覆。同時に転覆した僚船4隻をあわせて1430人の犠牲者を出した。この時私は小学校6年だったが、頭に残っている。

1961年大学入学時も同型タイプで、2等船室は貨車デッキの下の、喫水線まで降りる構造で、一端転覆すると容易に出られる状況ではなかった。

1964年(昭和39年)5月新造船津軽丸就航 以後同型船6隻 (八甲田丸・松前丸・大雪丸・摩周丸・羊蹄丸・十和田丸)が就航した。客室はすべて貨車の上になった。大学4年の時である。

以来北海道へ帰郷するたびに利用することになり、これらの船はすべて乗船した。そのうちの一つがこの摩周丸で、懐かしい船である。

←チケット     青函連絡船記念館「摩周丸」

駐車場に車を止めて、付帯の建物に入り、3回までエスカレーターで登る。乗船前の通路には摩周丸の当時の勇姿を物語るパネルや模型が飾られている。
繋留されている摩周丸
いよいよ乗船 船内では乗組員が迎えてくれた。 濃霧や吹雪で視界が遮られた時に、周辺の船に船の位置を知らせるために使われた。
出港を知らせるこのドラの音は、私は大好きだった。そして「蛍の光」が流れ、静かに桟橋を離れる。2階のこのデッキは乗客で溢れ、紙テープを投げて別れを惜しんだ。
2階に、なつかしい2等の座席が陳列されていた。 青函トンネル開通で、まもまく廃船になることになった時のポスター。
2階2等船室の部分は展示室になっていて、青函連絡船のあゆみや様々な歴史を学ぶことができる。

摩周丸    ・ 船舶の長さ  132m
         ・ 全   幅    17.9m
         ・ トン数     5,374t

船の仕組みや動力・部品など、メカニックな部分を展示したコーナー。

船長が指揮を執った操舵室・無線室を現役そのままに再現した「操舵室・無線室」。当時は入ることが許されていなかったが、当時を思い感無量。

屋上甲板には良く出て、しばしの別れと北海道を見送ったり、恐らくすぐに戻ることになるであろう本州を見送ったり、それぞれの旅で乗船した時の想い出がなつかしく甦ってくる。

 

哀しみがあり・歓びがあり・夢に燃えたり、様々な想いが浮かんでくる津軽海峡の潮風に頬を打たれたデッキである。