中学時代の修学旅行以来、50年ぶりの訪問である。

すでに認知症の初期症状が始まっている私の脳裏に焼き付いて離れない名称「立待岬」。

かといって今持って自他共に認める文学少年ではない私には、石川啄木もあまり縁がないし、与謝野晶子夫妻にもあまり関心がない。

なのになぜか旅情を誘うこの名称は、その名だけで心に残り続けていたのだ。

そこでこの地名の由来を調べてみた。

立待岬の「立待」は、アイヌ語の「ピウシ」の訳で「岩上で魚を待ちヤス(漁具)で獲る場所」という意味である。

 

立待岬は寛政年間(江戸時代後期)には、北方警備の台場が設置され、外国船を監視する要の地だった。

併走してきた電車はここが終点。谷地頭という停留所だ。車はさらに先へ、海を見下ろせる坂道沿いを進む。

 

 

車一台の狭い道路の途中に石川啄木一族の墓がある

津軽海峡を歌った歌碑が並ぶ。

函館市の南東部及び函館空港方面が見える。

 

 

この一帯には上のようにいろいろな歌碑が並んでいるが、中でも有名なが与謝野寛・晶子の歌碑だ。

自然の岩に掘られた歌碑なので、歌の同好者でなくとも一味違うものを感じる味わいがある。

風雪に耐えて来た歴史を感じさせる歌碑である。

 

  浜菊を 郁雨が引きて 根に添ふる
             立待岬の  岩かげの土

                          寛

  啄木の 草稿岡田先生の 顔も忘れじ
             はこだてのこと

                         晶子

案内板のすぐ左の岩に、歌が掘られている。
                  右2枚の写真参照

見渡す限りの海はとにかく圧巻で、何もせずにただ海を見ているだけで満足できる。
津軽海峡に突き出す立待岬の先端は、海峡の波をかぶって研ぎ澄まされていた。
津軽海峡には雲間から一瞬の太陽が輝いていた。 函館山から南東に位置する立待岬は、晴れている日には下北半島まで見えるという壮大な景色の観光スポットである。