渡波小学校校舎。(渡波避難所)

1階の各教室は、支援活動本部・保健室・10回線ぐらい電話が引かれていた通信所・炊き出し用の給食室・見舞い品置き場・避難児童用の図書室兼プレイルーム等に使われていた。

2・3階及び体育館は避難所となっていた。

   

外に運ばれてくる災害援助品の整理に当たりながら、てきぱきと電話で連絡に当たる石巻住民の会 災害支援センターの高橋誠さん。

 

 
   

向こうのトラックが、NGOによる支援品運搬や連絡用トラックになっている。

中央赤いシャツ方が代表の菅野芳春さん。

   

無料の特設公衆電話所に充てられた教室。

この避難所に住む人は全国どこへでも使用可能という。

   

本校舎に入る渡り廊下。

丁度「帰宅」した生徒が2・3階の「自室」に帰るとこらしい。

この学校は、学校としては全く機能しておらず、具体的にどこに分散して学んでいるかはわからなかった。

   
体育館につながる渡り廊下に隣接する更衣室は、臨時の日本赤十字救護室となって、常駐する看護師の出入りする姿が見られた。
   
消毒用の液は入り口として何の不思議もないが、健康管理用の血圧計が置かれていることに、ここが日常の生活空間として使用されていることがわかる。
   

玄関掲示板に張られていた求人広告。

これは、渡波避難所訪問前に訪問した魚町埠頭で行われていた、腐敗の進む冷凍水産加工物の海洋投棄用選別作業をする求人案内であった。

   

 

 

 

 

2階職員室の窓に張られていた「がんばろう渡波」の合い言葉には、この渡波地区が一丸となって支え合っている力強さがみなぎっていた。

現在の避難者は約200人。

   

NGO海外青年協力隊震災支援の会本部は校庭の一角に建てられたプレハブとテントだった。

 

            
   

歯科医療機器総合メーカーのキング工業株式会社の歯科検診車が常駐していた。

常時最新の機器一式を搭載しており医師による本格的な治療が提供されているという。

   

特設公衆電話所に充てられた教室の内部。

少なくとも10回線は引かれており、家族親戚友人等の連絡に使われていた。

訪問時には小学生の女児が利用していたが、とても明るく元気そうであったのが印象的であった。

   
渡り廊下の足洗い場は、「住民」の洗濯場になっていた。
   

体育館玄関靴箱。

中に避難者たちが生活していることが、靴箱や脱がれた靴の雑多なことで容易に想像つく。

   

丁度小学生2名が「帰宅」した。

中は段ボールや個人の持ち物・布団等で仕切られ、時折テレビで目にする風景と変わりはない。ちょっと覗いてみたが、プライベートな生活空間であることから写真撮影は遠慮した。

   
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
  私の目が見た  の記録です
       
石巻市渡波小学校避難所    

 マスメディアの目を通した被災状況ではなく、自分の目で確認してきただけを記録したい。それは毎日の報道とは比較にならないごく一部ではあるが、「百聞は一見にしかず」といわれるように、私ども夫婦にとっては膨大かつインパクトの高い見聞になった。目の前に繰り広げられるショッキングな場面の連続は、当たり前に過ごしている自分たちの世界がいかに幸せに満ちているかを認識するのにあまりにも十分すぎた。

 魚町の作業に取り組む地元市民の一人が我々の意図を理解してくれて見舞訪問することになったのが渡波小学校避難所。
私どもは訪問することへのお詫びの気持ちも込めて、車には出来るだけのお見舞い品を積んでいったが、ここが今回の最後になることから、残された全ての見舞い品をお届けした。幸い校庭の一角で支援活動中だった「石巻住民の会」と「海外青年協力隊震災支援の会代表」の方が、トランクから荷物を下ろす際に進んで手伝ってくださり、思わぬボランティアとして心を1つに出来たことをうれしく思った。

       
名取市内から集積された被災品 閖上小学校校庭と3階からの眺望 閖上小学校校舎内 名取市内と閖上小中学校全景
    石巻市渡波小学校避難所  
石巻市内通過で見た惨状 石巻市魚町と石巻漁港   我が家の被災