仙台南道路を名取りICで下りて、すぐに目に飛び込んできたのがこの光景。

後方は仙台南部道路。

これにより津波は押さえられたようだ。

   
横たわる船の脇で電線の復旧活動が進められていたが、なんとも日常生活から乖離した異様な風景である。
   

至る所に横たわる船の数々。

ことばが出ない。

   

家があったのだろうか。それとも畑?まったく判断ができない。

残された一つ一つは原形を留めておらず、圧倒的な威力だ。

 

 

どの家の庭にも異様にへこんで車が次から次と出てきて、被写体を全く選択する必要がなく、徐行しながらシャッターを押し続けた。
   

数十メートル進むと右手に小学校の校舎が見えてきた。

手前の道路わきには津波で流されてきたものが散乱している。

   

校舎は在りしの威容を毅然として守っていたが、児童の歓声は全く聞こえず、そのことが逆に寂しさを強く表現していた。

校庭はもちろん校舎の1階まで水没した津波の威力に茫然とする。

 

 

校庭の左奥には体育館。この中に名取地区から発見された回収された被災品が集積されていた。(こちら

現在も毎日新たに発見された被災品が運び込まれてくる。

訪問中にも自衛隊が発見した被災品が運び込まれてきた。

   

3階の校章が児童のいないグランドを寂しく見守っている。

その下2階部分には校長室の標示。
児童の活動を見守る先生の人影もない。

   

 

 

 

 

海岸まではまだ数キロ先のはずなのに、ここまで船が運ばれている。

初めて見る津波の威力に、これからの視察に緊張感がよぎる。

   

水田か畑だったのだろうか。

流されてきた泥が積もっていたが、わずか2ヶ月半で早くも緑が芽生えていた。

   

かろうじて風格を保っている家の前庭には、異様なつぶされ方をした車が並んでいた。

災害の様子を車中から夢中でシャッターを切った。

しかしこれらはまだまだほんの始まりであった。

   

道路は規制されていて、右折するとすぐに目に入ってきたのが閖上中学校の看板。

人の気配は全くなく、道路から学校名の看板を納めることがやっとだった。

   

閖上小学校

道路規制に当たっていた案内人から進められた閖上小学校は、中学校からわずか100~200m西に位置していた。

正門からはいると立派な3階建ての校舎が目に入るが、一目で悲しげの空気が押し寄せてくる。

 

 

消防車を始め校庭にある数台の車は、タイヤは砂に埋まったままで放置されている。

グランドの模様が、一面海となったことを思い起こせる。

この時避難場所は、体育館から急遽3階に切り替えられたそうだ。

   

2時46分発生した地震によって発生した津波は、この時間に閖上小学校校庭に押し寄せ、校舎を襲った。

屋外時計は動きを止めて、その時を無言で訴えている。

再び動き出す日が来ることを一日でも早くと願いたい。

   
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
  私の目が見た  の記録です
       
名取市内と閖上小・中学校全景    
 東北自動車道を北上し、宮城県村田ICで降りて、真東の太平洋側に横断する山道25号線を進むと岩沼市に出る。岩沼市も大きな被災にあっていたが、目指すは名取市として6号線仙台東部道路でさらに北進。
 この道路は海岸から3~4km内陸部を走るが、平坦地の仙台平野をやや高架になって走るために眺めも良い。津波の先端はここまで押し寄せたことが、押し流されてきた残留物から容易に察することが出来る。
 すぐに仙台空港脇に出る。空港一体が津波に襲われたあのTVの映像が目に浮かぶ。滑走路の西端をかすめて北上を続け、名取りICで降りて、名取川河口に位置する閖上中学校へ。しかし海岸線の10号線から東側は瓦礫の処理作業のため規制されていて、市役所の許可を得ていなかったため入ることが出来なかった。
 幸いにして規制を案内している監視員(市からの委託員)から、親切に10号線西側に位置する閖上小学校の案内をいただいた。
       
名取市内から集積された被災品 閖上小学校校庭と3階からの眺望 閖上小学校校舎内 閖上小中学校全景
       
石巻市内通過で見た惨状 石巻市魚町と石巻漁港 石巻市渡波小学校避難所 我が家の被災