壁に張ってあった自衛隊へのお礼のメッセージ。

自衛隊の活動がいかに心を打ったかを語るメッセージだ。

互いに再び合うことは難しいかも知れないが、感謝の気持ちはきっと伝わっていると思う。

   

入り口から入った最初の教室には体育で使われた用具類が。

玉入れ競技に熱狂する児童たちの声が聞こえてくるようだ。

   

移動式白板とグランドビアノのコラブレーション。ふたは開いているが音は聞こえてこない。

これほどの寂しさの表現を、私は学校の中で見た覚えがない。

   

次の部屋は、造りから調理室、あるいは家庭科室であったようだ。

棚の物が崩れ落ちたり、倒れているのは地震による被害であろう。戸棚に残る泥から津波はこの高さまで押し寄せたことがわかる。

   

当時から倉庫として使われていたと思われる小さな部屋には、被災後に運び込まれたと思われる赤十字の文字が記された段ボールの箱が。

唯一、震災後の人の動きがあったことを感じさせる。

   

2階に上がる階段の踊り場まで津波は到達していた。

   

階段のもう一方の壁には、4月から全国的に取り入れられる英語活動の授業研究のようすが張られていた。

時代を一歩先取りした先進的な学校であったことがわかる。

   

 

 

 

 

 

ドアから廊下の様子を見たとたんまるで凍り付いたような戦慄が走った。

そこには震災当時のままの惨状が残されていた。泥が積もった床と対照的な壁に貼られた児童たちの作品群。

   

倒れ掛けたピアノは何を物語っているのだろう。

積まれたカラーマットは水から逃れていて、すぐにも使えそうだ。

   

床に積もった大量の泥から靴が半分覗いていた。周囲を見回すがもう片方の靴が見えない。

大きさから児童の物ではないが、とにかく無事であったことを願いたい。

   

床の泥は乾燥でひび割れてきている。

日にちの経過を物語っているが、全く人の手が入った痕跡は見あたらない。

   

階段下におかれたロッカー。

その上の壁には、津波の痕跡が残されている。

   

階段の踊り場には、まもなく迎えるであろう卒業生の卒業を祝う掲示が飾られていたが、まったく無傷のままだった。

階段下の津波の爪痕と対照的で、何ともやりきれないむなしさが残る。

   

静まりかえった校舎を、津波の次の襲来に備えて避難場所に指定されていた3階まであがる。

そこは音楽室だったが、室内には何も残されておらず、五線の黒板にこのようなメッセージが残されていた。

 

これからも元気になかよく、やさしい心をもって、べんきょうやうんどうなど
がんばってください。われわれは、いつでもおうえんしています。

                     自衛隊 第35普通科連隊3中隊一同

2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
  私の目が見た  の記録です
       
閖上小学校 校舎内    
 体育館に繋がる廊下から校舎に入ることが出来た。一歩踏み入れると、そこには悲惨な校内の被災状況がそのまま残されていた。
 入り口には自衛隊の皆様へのお礼のメッセージが掲載されていた。最近ではマスコミでも自衛隊の活躍が時々取り上げられるようになってきた。被災現場では自衛隊ならではの大変な活躍があり、被災者の立場になっての献身的な活動・温かい心配りにあふれる活動があって、絶賛されていることを耳にするようになった。この避難所で真っ先に出会ったお礼のメッセージに、心の通いが感じ取れて、たいへんうれしい限りである。わたしからもお礼のことばを伝えたい「自衛隊の皆様、ありがとうございます」と。
       
名取市内から集積された被災品 閖上小学校校庭と3階から眺望 閖上小学校校舎内 名取市内と閖上小中学校全景
       
石巻市内通過で見た惨状 石巻市魚町と石巻漁港 石巻市渡波小学校避難所 我が家の被災