閖上小学校校舎。

津波は校舎の1階半ばまで水が押し寄せた。

   

校舎が津波に襲われた時刻に、この時計は止まったままだ。

一日も早く、再び動き出す日が来ることを願いたい。

   

巨大な地震の発生により児童たちの救助のためにいち早く駆けつけた名取市閖上分団の消防車。

その後押し寄せた津波に、自ら校庭で被災することになった。

   

児童を迎えに来た車だろうか。破損の激しさが津波の衝撃の大きさを物語っているようだ。

 

   

校庭の一角には流木が集められていた。

人の気配のない校庭で一人たたずむ朝礼台。

校舎の外側には2カ所の階段が目につく。津波対策の避難用と思われる構造だ。

   

地震の発生と同時に駆けつけた地元消防団の消防自動車。

その後の津波で動くことが出来なくなった。

   

右上写真の瓦礫の山を望遠で捉えた。

作業中の重機が見て取れる。すさまじい量の瓦礫は、平坦地閖上地区で、最も高い山を出現させるほどだ。

規制のため近寄れなかったが、中央の木陰には何隻かの船が見える。道路の瓦礫は除去されているが、畑と思われる地面には痕跡が残されている。

   

右上写真の、今にもダイビングしそうな車を望遠で捉えた。かろうじて止まっていることがよくわかる。

駐車していたところを襲われたのかも知れない。無事であったことを願うばかりだ。

後方が海の方向になる。

   
 

3階の校章が児童のいないグランドを寂しく見守っている。

その下2階部分には校長室の標示。
児童の活動を見守る先生の人影もない。

   

仕事できていたのだろうか。あるいは大きな地震で避難してきたのだろうか。

校庭にはコカ・コーラのトラックが放置されていた。破壊されたフロントガラスから、津波の大きさがよくわかる。

   

学校のシンボルでもあったと思われる校庭の銀杏の大木には、津波による流失物がまとわりついたようにまとめられていた。

まるで敵に囲まれた弁慶が、主君義経を守るために、多くの矢を浴びながらも仁王立ちになって敵に立ち向かった勇姿を思い出してしまった。

   

体育館の壁にのめり込んで止まっているプレハブの小屋。

学校の施設の一部なのか近所から流されてきたのかはわからない。

   

体育館前に止まっている消防車も、駆けつけたまま身動きが取れなくなって放置されている。

乗用車は、体育館に展示されている被災品に、在りし日の思い出を探しに来ている人たちのものらしい。

プール前の真ん中の白い車が私の車である。

   

校庭の車も動くことが出来ず放置されている。

3階からながめるこの平坦な一帯がすべて海と化した。

左奥にこんもり盛り上がっているのは、集められた瓦礫の山である。
(下左の写真参照)

   

3階音楽室の窓から見ると、一見平穏そうに家が散在しているが、よく見ると乗用車が畑に乗り出すようにして止まっている。

ここでも復旧のためのクレーンが動いていた。

   
   
こちらの車は、タイヤが埋もれたままだ。
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
  私の目が見た  の記録です
       
閖上小学校校庭と3階からの眺望  

 閖上小学校に訪問した。仙台平野名取川河口に位置する閖上(ゆりあげ)地区は、ほぼ全域が水に埋もれ、この学校も例外ではなかった。多大の損害を被むりながらも、復興への息吹を感じたが、その速度はあまりにも遅々としたもので、被害の甚大さに胸が締め付けられる。

 道路は車の通行が可能になっているが、周辺の惨状はそのまま残っている。この学校は災害時の避難場所に指定されており、地震発生当初は体育館が充てられていたが、巨大地震による津波の大きさが伝えられて、急遽3階に避難することになり、児童や職員はもとより、近くの住民や駆けつけた保護者たちも階段を駆け上ったという。押し寄せた津波は1階半ばまで達し、校庭はおろか、周辺地域一帯が水に浸かった。

その3階から、残された周辺の惨状も見てみた。

       
名取市内から集積された被災品 閖上小学校周辺 閖上小学校校舎内 名取市内と閖上小中学校全景
       
石巻市内通過で見た惨状 石巻市魚町と石巻漁港 石巻市渡波小学校避難所 我が家の被災