宮城県道240号石巻女川線を石巻漁港に向けて、石巻港の方向から入る。

旧北上川を日和大橋で渡る。

ここから見る海は穏やかそのもので、甚大な被害は想像できない。

   

前方右に広がる町が魚町の方向だ。 

残ったビル群を見ると、平穏に見えるがその先に広がるのは・・・。

   

240号線を直進すると、中央分離帯に流されてきた巨大なタンクが横たわっている。

まるでモニュメントと錯覚する。

左の建物は、屋根は残るものの惨劇のすごさが一目瞭然だ。

   

前回は、路面は陥没し海水が入り込んでいたためここまでしか進むことができなかった。

魚の加工場がいっぱいあって、そこで働く人たちや観光客が利用していたらしい広い食堂だ。

   
たくましい巨大なクレーンの動きは、復興をめざす人たちのたくましい力強さに見えて頼もしかった。
   

防波堤の手前には巨大なテトラポットが並んでいた。

すべて真っ白で真新しいことはその白さでわかる。

出番を待つ兵の勇姿のように見えた。

   

埠頭の地面をよく見ると粘つく水気が残っており、半年前に目にしたものがまぶたによぎってくる。
   

水産物加工場は、大きなトラックが出入りしていて、復興目指した動きが感じられた。

   

防波堤は静かに横たわり、晴れ渡った空の青とマッチして穏やかな港を演出していた。

   
工事現場を見つめる我が愛車。
   

地盤沈下のため、道路は土盛りして作られている。

平均30cmから50cmは盛られているようだ。

   
   
   

 

 

 

 

 

日和大橋から石巻漁港を眺める。

   

日和大橋を渡り終えると早速瓦礫の山が目に入ってくる。
   

埠頭のある海辺の魚町1番地にはいる。

道路は盛り土ながら通れるようにはなっている。

   

今も人影は感じない。

建物が大きいだけにむなしさが伝わってくる。

にぎわいが戻るのはいつの日のことだろうか。

   

この先は陥没のひどい渡波地区になる。

地震で崩れた路面はそのままで、復興の手が伸びていないことがわかる。。

   

たくさんの加工工場から運び出された海産品であふれていた埠頭は、復興の工事現場へと変わっていた。

腐敗する臭いにあふれていた埠頭はすっかりきれいに片づけられていた。

   

埠頭には何か建築の工事が始まっている。

奥に見える防波堤に乗っかる形で残っていたオイルタンクはすでに撤去されていた。

港の普通の風景に戻っていた。

   

こちらの埠頭にもたくさんの作業員が動き回っていて、復興が急速に進んでいる。
   
工事用にかけられたと見られる桟橋には、「がんばろう石巻」の復興の合い言葉の横断幕がかけられていた。
   
反対側に目を移すと新築されたばかりのアパートがあった。
   

流された後にはすでに緑も戻り始めているが、伐採された倒木の根と対照的だが、不思議な生命の強さに一瞬ほっとする。
   

 

 
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
私の目が見た  の記録第2弾
      第1弾はこちら
石巻市魚町と石巻漁港    

前回は石巻港に向かってしまったが、市街地全体の大きな配置・方向は掴んだので、今回はICを降りてからはまっすぐ漁港に向かった。

旧北上川にかかる日和大橋を渡り、直接魚町に入るルートを選んだ。

魚町に入って最初に気がつくのは、あの鼻を劈くような異臭が全くないことであった。埠頭の魚町一番地に着くと、あの山のように集められて悪臭を放っていた黒山の海産物がすべてなくなり、その場では新たな建築が始まっていた。

防波堤に乗っかる形で残っていたオイルタンクもすべて撤去され、見る限りでは平穏を取り戻した感じだ。

       
名取市内から集積された被災品 閖上小学校校庭と3階よりの眺望 閖上小学校校舎内 名取市内と閖上小中学校全景
       
石巻市渡波小学校避難所その後 石巻市魚町と石巻漁港 女川町に見る地震の爪痕