初めて女川の市街地が目にはいる。

道路の両側には、明らかにここまで津波が押し寄せた痕跡が残る。でも正面に見えてきた建物は毅然と建っており、テレビで伝えられるほど被害はなかったのか、と思うほどだった。

   

市内に入る前に左前方の高台に立派な建物が見えてきた。

そこでまず高いところから見てみようと、坂道をあがっていった。

そこには工事用の建築材でガードされていたが、できるだけ近づいてシャたーを切り続けた。

   

正面奥に見えるの海上保安庁の巡視艇。

この日停泊していたことは新聞でわかった。地元の子供たちに公開、体験試乗会が行われていたようだ。

   

鷲神地区にも立ち並んでいた家並みの形跡はない。

奥の方が今通ってきた道路。

   
手前にあったであろう町並みは礎石を残すばかりだ。
   

撮影しているカメラマン、横に立つ女性はマイクを持っている。

明らかにどこかの社のレポーターだ。

さっそくこちらから逆取材することにした。

   

彼女の名前は、「芝山信子」レポーター兼アナウンサー。

大変美人だった。

その後毎週見ているが、レポートしている姿なので彼女の顔は写らないのが残念だ。

その時はこのページを活用しよう。

   

振り返って建物正面を見る。

そしてここが9月まで女川町立病院、10月から関連施設が統合されて現女川地域医療センターとなったことがわかった。   

   
歯科診療所と並んで薬局も仮設で建築されていた。
   

赤色棒を持ったガードマンがついていた。

去ろうとしているので早速呼び止める。

津波来襲時の状況を聞こうと思って声をかけると玄関前の柱に案内された。

   

そこにはこのように記載されていた。

それまでこんな高台まで津波が来たとは思っていなかった。

それから周囲を見る目が変わった。

   

表のきれいなドアを開けて一歩はいると、目の前は応急に用意された机を並べて受け付け業務が行われていた。

ここは病院だ。患者も訪れていた。

   
外に出て、右に回ると老人福祉センターと老人福祉施設になっていたが、その玄関の柱は強い衝撃を受けてでこぼこになっていた。。
   
ところが左手の部屋に目を移すと、まだまだ内装工事に取り組んだばかりで、材料が積み上げられていた。
   

建物を出て、改めて海に目を移す。

あの海から巨大な波が押し寄せたのだから、恐怖心はいかばかりであったことかと思う。

ちなみにこのあたりの津波の高さは30mを超えていたといわれる。

   
地域医療センターの右方向で、老人福祉関係施設が集まっている。
   

女川町役場?と思われる。

業務はこの先の女川第2小学校に間借りする形で行われていた。

   
このあたりがJR石巻線女川駅の近くのはずだが、特定はできなかった。
   

女川地域交流センターを下から見るとかなり高台になっているが、津波はここも超えて、これらの建物の1階の高さまで水につかった。

   
   
   

 

 

 

 

 

よく見るとこの辺にも人家があったことを思わせる礎石風のものも見られて、ここまで水が来たことを考えると身震いがした。

   
そこには慰霊の花が飾られており、飲み物等が添えられていた。
   
右の「マリンパ女川」は建物は残っているが、地盤沈下により辺り一面と同じく海中に没している。
   

望遠で追って見た。

埠頭もかなり激しく破壊されていることがわかる。

   
被災を免れた船は漁を開始しているが、船着き場が破壊されたため苦労されているそうだ。
   

BS-TBSの番組制作のスタッフだった。

毎日曜、夜9時より放映されている報道番組「News 21 サンディスコープ」

   

どちらが美人か比べてみることにした。へへへ

判定は聡明な読み人に任せます。

   
地域医療センターの右手に仮設で用意された歯科診療所。
   
前の二つは仮設のこの一角に入っている。
   
ここを見よといわんばかりに柱の一部分をさす。
   

改めて正面入り口を見つめ直す。

ここからも津波の水は入ったのだ。ということは・・・。

   
左側は、いまだ改装工事が進まず、シートで仕切られていた。
   

右手の事務室は外から見る限り、整備が進んでいて、被害を受けた様子はあまり感じられない。

   

病院棟とは2階の渡り廊下で結ばれている。

ここまでは水は上がらなかったそうだ。

病院、老健施設とも1階が津波被害を受け、受け付け、診療とも2階で行っていたが、訪問時には主要部分の修理を終えて、待合室、検査室、診察室なども1階に戻って運用が始まっていた。

   
地域医療センターの病院棟方向。
   
この先の高台にある女川中学校に向かう途中だ。
   
襲ってきた津波の高さと激しさが理解できる。
   

女川第二小からUターンして山を下ると、その一体は瓦礫蓄積場になっていた。

このように積み上げられた瓦礫の山が延々と続き、その多さに驚く。

後でわかったことだが、女川町の処理する116年分に該当するそうだ。

その処理に東京都が受け入れたということは納得できる。

 

   

帰りはほぼ町はずれに位置する女川名物「蒲鉾本舗 高政 女川本店」に寄った。

偶然に寄っただけだが、幸い社長が店にいて、1時間近く災害の様子や復興の様子について聞くことができた。

このお店も改装なったばかりの真新しがあった。

   
   
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
私の目が見た  の記録第2弾
      第1弾はこちら
女川町に見る地震の爪痕    

 女川町市街地にはいると真っ先に目に入る高台の大きな建物は町立女川病院だ。この女川町立病院は10月1日、公設民営へ移行し、介護施設と一体化した「女川町地域医療センター」として再出発した。これは震災前から決まっていたらしい。

震災前の病院と老健施設合わせて148床(一般病床50)は、再編により119床(同19)となった。内科、外科、整形外科、小児科の総合病院だ。さらに11月から眼科、皮膚科の診療も始まるらしい。介護施設は当面50床で運営するが、来年4月から100床に増やすそうで、地域の医療の要になることだろう。

病院、老健施設とも1階が津波被害を受け、受け付け、診療とも2階で行っていたが、訪問時にはかなり修理が進み、待合室、検査室、診察室なども1階に戻って使用が始まっていた。

       
名取市内から集積された被災品2 閖上小学校校庭と閖上中学校 閖上小学校校舎内 名取市内の惨状と復興の兆し
 
石巻市渡波小学校避難所その後 石巻市魚町と石巻漁港 女川町に見る地震の爪痕  
       
女川町地域医療センター(元女川町立病院)から上流方向(石巻市方向)を見る。
女川町地域医療センター(元女川町立病院)から女川湾の方向を見る。

このような瓦礫の山が遙か先まで続いている。脇をずっと走ってみたが、想像を絶する量であった。

瓦礫の量は、女川町が1年に処理をする量の実に116年分に該当するそうで、とても町だけでは処理ができず、全国の自治体に協力を申し出ていたが、訪問前の新聞で、東京が引き受けるということですでに始まったと聞いた。

新聞だけでは違和感も感じだが、この現場を見てその協力が必要なことを強く納得できた。

これも現地を訪問したからこそ理解ができたことと思う。                                  

                                    女川町の積み上げられた瓦礫の山

「マリンパル女川」陥没のため水につかったままだ。回復は難しく感じた。ここで運営していた地元水産物の直売店、女川町営の観光物産施設で有名だった「マリンパル女川おさかな市場」は、先月女川街道沿いに仮店舗をつくり開店できたということで、帰路お店にも立ち寄り、ホヤなど女川名産を購入した。

        
「蒲鉾本舗 高政 女川本店 万石の里」は創業昭和12年、従業員136名の女川を代表する老舗だ。その壁にはこのようなスローガンが掲げられていた。