仙台南部道路を名取りICで下りて、再び名取市内にはいる。

この光景は今も同じだ。船の撤去まで手が回っていない。

   
仙台方面に向かう道路は、すでに改修が終えて、大型トラックを始めたくさんの車が猛スピードで往来していた。
   
クレーンが動いて改修工事の進んでいるこの建物は、お寺のようだ。
   
写真だけ見ると平和そのものなんだが、よく見ると建物の礎石が見られる。
   
コンクリートの土台があることは、ここまで建物が建っていたことを表している。
   

日和山の富士主姫神社が碑の左側にあったそうだ。

立派な祠も津波の犠牲になって今はない。

   
一次処理された瓦礫の灰らしきものがうずたかく積み上げられていた。
   

見渡す限りの荒涼とした景色に呆然として、言葉も出ません。
   
左の道路が129号線。
   
あちらこちらで復旧のための工事用クレーンが動いていた。
   

立派な桜の木があったそうだが津波に流された。

代わりの新たな桜が植樹されていた。

この地区のたくましい復興の様子をいつまでも見守り続けることであろう。

   

被災された方の身内の方、それともお知り合いの方たちだろうか。

海の方に向かって、手を合わせ、深々と頭を垂れていた。

   
海の方を見ながら、彼女たちの脳裏には何がよぎっているのだろうか。
   
閖上地区の上空には、秋の晴れ渡った青空が広がっていた。

 

 

 

 

 

海岸まで行く直線道路は、ここでガードレールにより遮断されていた。

   

脇道から被災のひどかった地域にはいる。

前の車は荷物を運び出していた。やっと運ぶ先でも決まったのだろうか。

 

   

名取市消防署閖上出張所。

この消防自動車も車を見ると土の中に埋まったままだった。

   
ここでもクレーンがたくさん動いていて、復興のピッチが上がり始めているらしい。
   

閖上地区のお寺。

周りに倒れている墓石群がそれを物語っている。

   

 

日和山には新しく二本の碑が建てられていた。

 閖上湊神社
 富士姫神社

である。

   
海の方向に向かって慰霊碑が建てられていた。
   
上の写真と全く同じ場所で、少し前に出て撮影。
   
後方に閖上小学校の校舎が見える。
   
道路の復旧工事も進んでいる。
   
日和山神社の鳥居。
   
猛威をふるった濃い青の海が、遠くに静かに横たわっている。
   
悲しみの果てに、空の青さはあまりにも美しい。
2011.03.11 東北地方太平洋沖地震
私の目が見た  の記録第2弾
      第1弾はこちら
名取市内の惨状と復興の兆し    

東北自動車道から仙台南部道路に入り名取インターで降りる。最初に目に入る津波の惨状を物語る道路脇の船は、そのまま放置されていた。

前回は入れなかった海辺沿いの地区にも入ることができた。すでに瓦礫は取り除かれており、土台だけが残っており、一面広漠とした土地が広がっている。残ったコンクリートの礎石の数から、この一体がにいかに多くの人が住んでいたことかよくわかる。すべてを一瞬にして押し流してしまった津波の威力には、計り知れない恐怖を覚える。

たくさんの重機が動いていたが、それは瓦礫の処理ではなく、復興を目指したたくましく力強い工事の音であった。住宅等の建物の建築は見られなかったが、これは今後の津波対策もあって、全体の復興ビジョンがいまだ確定していないため手をつけることができないことに原因があるらしい。

もうすぐ年の瀬を迎える。被災された方たちはどこでどのような形で寒さをしのいでいることかと気にかかる。

       
名取市内から集積された被災品2 閖上小学校校庭と閖上中学校 閖上小学校校舎内 名取市内の惨状と復興の兆し
 
石巻市渡波小学校避難所その後 石巻市魚町と石巻漁港 女川町に見る地震の爪痕  

2014年3月11日、名取市閖上地区日和山。同じこの場所から見た海方面には、たくさんの重機の姿は見られるものの、3年の月日を過ぎても復興が十分に進んでいる思うにはほど遠いものだった。 (2014年3月11日朝日新聞より)