名寄市無形文化財(旧名 下多寄獅子舞)

9月6日は風連下多寄神社の例大祭です。幼き頃、短めの浴衣を着て境内に出かけ、勇壮な獅子舞に心を踊らせた感動は、今も子供達に同じ初秋の思い出
を胸に刻まさせている下多寄ならではの風物詩です。明治41年下多寄神社に奉納されて以来今日まで、伝統行事として受け継がれています。全長7mにも及び
多勢で舞う獅子舞は日本でも最大級とされ、昭和37年からは伝統芸能として、名前も風連獅子舞と改められ、今日があります。

故郷を離れて千葉県船橋市に住む我らが行動派の東 勲君、平成23年9月、思い立って故郷北海道名寄市風連町下多寄に向かいました。おりしも日本全国は
超大型台風12号の影響を受けており、西日本を中心に平成で最大といわれる被害を与えた後、大祭日の6日には北海道西の日本海海上にありましたが、不安
定な天候の影響は避けられず、奉納場所を我らが母校風連町下多寄小学校の体育館に移し、奉納されました。

混雑する体育館の中での撮影は困難を極めたそうですが、
持ち前の根性とタフさでシャッターを切り続けた汗の結晶が
ここに紹介する写真です。そのため一切の編集の手を加え
ずそのまま撮影順に掲載しました。

写真を拝見しながら自分の記憶は確かに甦りましたが、獅
子舞の背景、登場者やストーリーなどは全くわかっていない
自分に気がつきました。そこで解説の欄も設けしたので、皆
さんのご協力をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

写真撮影・提供  
  東 勲君 平成23年9月6日 千葉県船橋市習志野台在住
  東君の素晴らしい写真提供に深謝いたします。

関連資料
  名寄市風連歴史民俗資料館
  史志の北海道ぶらーっと一周2

 

このページは大きく加筆修正いたしました。(2019/01/31)  
下多寄小学校PTA会長並びに閉校実行委員会委員長 今村芳彦様より投稿頂きました
 


以下に掲載しましたように、写真の解説として詳細に頂きましたが、今村様は二十才の頃より獅子若連中の一人として獅子舞の保存に貢献されているそうで、獅子舞の見るべきポイントととして、次のような説明まで頂いています。写真を見る上で、大変参考になりますので、まずご一読頂けると良いと思いますので、まず全文を掲載しました。

・獅子舞の中に大勢いるのは、獅子の意匠というよりも振り手の交代要員としての意味合いでしょうか。獅子殺し、天狗は10分以上の演目で交代して振っています。

・現在の獅子頭は4代目、およそ9kg。

・獅子頭1人、2番手1人、3番から6番が2人ずつ、しっぽ1人、の合計11名で構成されてます。

・楽器は笛6、太鼓1、鉦1

・どの演目も「3種3反復」というパターンが多いです。

・1曲目の「祇園囃子」から「獅子殺し・天狗」にかけて、獅子捕りが少しずつ減って行きます。これは獅子捕りの体力的な要素と、獅子にやられた、とも理解出来ます。小学1年生から中学生までが演じていますが、主に最年長者が天狗を演じるケースが多いです。

・写真以外にも、神社鳥居から社殿までを練り歩くときの「舞い込み」という演目もあります。獅子が山から下りてきた様子なのでしょうか。神社、教岸寺、高徳寺、の3カ所でしか行いません。

・天狗までが奉納行事としての意味合いですが、その後頂戴したご祝儀ですとかお花とかで1曲ずつ披露します。その時の口上が

「東西東西、目録御酒肴沢山 右は山田太郎様より、同じく山田花子様より、 当獅子方若連中にご贔屓とあってくだしおかれます」

発音すると

「とざいとーざーい もーくろくおんさけ、さかな、さわやま、みぎは、やまだたろーさまより、おなじく、やまだーはなこーさまより、とーししかたわかれんちゅうに ごひいきとあって くだしおかれまーす」「(全員)ありがとうございまーす」最初は意味がわからず何の呪文かな、と思ったのが懐かしいです。

 

写真番号と曲目

写真 解説

1曲目

「祇園囃子(ぎおんばやし)」

 物語の嚆矢として、山から下りてきた獅子が悪さをする、そこを「獅子捕り(ししとり)」が止めに入り対峙します。

 
 
 

2曲目 

「吉崎(よっさき)」

獅子捕りと一進一退の激しい攻防を表しています。獅子捕りが若干押され気味です。

3曲目 

「京振り(きょうぶり)」

序盤の攻防も山場、獅子捕りが優位に立ちます。

4曲目(筆者想像で加筆)

「七五三(しちごさん)」

別名「ズリ」と呼ばれる、獅子頭が地面を這うような振り手泣かせの演目。たぶん自分です。優勢に見えた獅子捕りですが、最後に巻き返しを食らってしまいます。どうなる獅子捕り!?
 
幕間「道中(どうちゅう」 下記「9」の写真 この行は筆者加筆しました。

5曲目 

「獅子殺し(ししごろし)」 

いよいよクライマックス。刀を用いて獅子を服従させ、最後は意のままにあやつり山へ返す、という流れなのですが、写真は4曲目と5曲目の幕間「道中(どうちゅう」だと思います。
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獅子殺し、刀を使い獅子を地面に伏せさせた場面だと思います。
13 伏せていた獅子が立ち上がり、山に返されるシーンです。
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伝承先の富山には大きく2系統の獅子舞があり、どちらも共通するのが「大人数の獅子舞、雄獅子」だそうで、その中の一方は「獅子殺し」で終わりなのですが、もう一方は「獅子殺し」ではなく「天狗(てんぐ)」という演目になるそうです。

こちらも「獅子を調伏し山へ返す」まで共通ですが、獅子捕りは刀を使わず「天狗」となって一人で対峙します。獅子捕り役の子供に天狗の面をつける作業があるので、ここも「道中」で幕間の様子です。

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天狗と対峙し、地面に伏せる直前

19 手に持っている棒(名前は不明)から舐めるように?或いは吹き付けるように?作った何かを、天狗の鼻から手に取って獅子へ「食べさせる」ような踊りです。細かい理由や由来については不勉強で申し訳ない。
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下多寄獅子舞 昭和28年 福井撮影       下多寄神社 平成19年福井撮影   

解説は等はすべて今村芳彦様から寄せられた説明・解説の原文をすべて使わせて頂きました。ありがとうございました。
私の脳裏にある断片的な過去の想い出を、一つの筋書きとして大きく甦らせてくれましたことに、心を熱くしております。

他に下多寄の獅子舞について、解説の累加・ご意見をお持ちの方はぜひ投稿頂ければ有り難いです。ぜひお願いします。

只見厳禁です。 引き続きこのページをご覧になった方は、ぜひ感想や幼き頃の思い出など何でも結構です。こちらに寄せてください。